QUAESO CARPE DIEM
CONCEPT
- 今日という日の花を摘もう
- QUAESO CARPE DIEM(クワエゾ カルペ ディエム)
こどものころ、ふと心細くなったことはありませんか。
自分って何だろう、どうして自分という意識があるのかなぁ、そう考えているこの意識もどこから生まれてどこにいくんだろう。幼い時にふとそんなことを考えて不安になったことはありませんか。
そんなとき、自分が壮大な銀河にズームアウトして宇宙全体を見ているような不思議な感覚になるかもしれません。 そして、いつか自分の意識がその無限の宇宙の一部に帰るかもしれないと感じたとき、胸がキュンと締め付けられるような心細くて切ない気持ちになったかもしれません。 そう、その不安な感覚は自分もまた自然の一部であるという、実は不思議な感動でもあるのに、大人になると忘れてしまいます。 ひとは幼い時の一時期、大人よりも無限や有限にとても繊細なのかもしれませんね。 大人こそ敏感に感じていいはずなのに、我々は時間に追われ、日常に埋もれ、あの感覚を忘れてしまっているようです。
ひとはどこからきてどこにいくのか。 その答えはいまだに見つからない。
なんのために生を受けたのか。 誰にも答えられない。
もしかしたら明日にはもうこの意識はなくなっているかもしれない。
確かなことは今生きているということ。今ここに存在しているということ。
その今がとてもつらいときもあれば、自分の存在すら忘れるほどうれしいときもある。
確かなことはその“今”がここにあるということ。
毎日の生活の中で、少しだけゆっくりとこの“今”という時間を楽しめたら……。
永遠の中の一瞬。
たとえば、秋の夕暮れにマッチをシュッとすってゆっくりキャンドルやお香に火を灯して、薫り高いコーヒーやお茶やお気に入りのドリンクを飲みながら、ゆらめく炎をじっとながめて“今”を感じる。 若葉の頃、お香から立ち昇る香りを楽しみながら緑の木々や外の景色をぼんやりとながめたり、窓から入るかすかな風を感じたり、ほのかに薫るさわやかな草木の香りを肌で感じたりして、感覚を研ぎ澄ませて“今”を楽しむ。 何気ない日常の自然を美しいと感じるのは、ひとが生まれながらにして持っている価値観であり、それゆえ自分も自然の一部であると直感する瞬間は、こどものころのあの不思議な感覚ともつながっている。
あっという間に過ぎていく日常のスピード感の中で、たとえ短くても、心にしみるそんなひとときがあったら、ひとはまるで生き返ったような感覚になれるかもしれない。 永遠の中の何気ない一瞬の貴さに癒され、復活した気持ちになれるかもしれない。 そんなひとときをあなたにも楽しんでいただきたい。
忙しすぎるあなたにも、自然を慈しむあなたにも、自分を大切にしたいあなたにも、落ち込んでいるあなたにも、のんびり休むことに罪悪感を感じてしまうあなたにも、「Quaeso Carpe Diem」はそっと寄り添います。そんな思いを込めてひとつひとつ、つくっています。
用語解説
- 【QUAESO CARPE DIEM】
- クワエゾ カルペ ディエム ラテン語
「その日を摘め」「今日という日の花を摘め」「今この瞬間を楽しめ」
紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句 - 【Quaeso】
- = Please
- 【Carpe】
- 「花などを摘む」の「carpo」の命令形
- 【Diem】
- 「日」を意味する「dies」の対格で目的語。